「BMXは、人生の半分を一緒に過ごしてきたパートナーです。そして、自分の世界を広げてくれた大切なきっかけでもあります」
そう穏やかに話すのは、葛飾区出身のBMXライダー、川口朔来(さくら)さん。
平らな地面で自転車を操り、技の難易度や流れの美しさを競う「BMXフラットランド」という種目で、2022年ジャパンカップ優勝、2023年アジア選手権優勝という実績を持つトップアスリートです。
世界を舞台に活躍する彼女の歩みには、日々の地道な練習と、地元・葛飾の人々との交流、そして「支える側」への関心という、自身の変化がありました。

納得いくまで繰り返す、日々の練習
BMXフラットランドは、2分30秒から3分という短い時間の中でパフォーマンスを行います。朔来さんが得意とするのは、前輪を軸に回転する「エルクスピン」などのフロント技。
「この競技は、ライダーごとにスタイルが全く違うのが面白いところです。新しい技がどんどん生まれる自由な世界ですが、私はその中でも『安定感』を一番大事にしたいと考えています」
その言葉通り、彼女の練習は非常に丁寧です。
中学・高校生の頃は、平日、学校が終わってから数時間、休日は日が暮れるまで。葛飾区内の公園などの練習場で、同じ動きを何百回、何千回と繰り返していました。
「本番でいかにきれいな形を見せられるか。体に動きを覚え込ませるまで練習を積み重ねることで、それが大会での自信に繋がっていきます。屋外だと風の影響もありますし、会場によって照明の明るさも違います。どんな環境でも、練習通りの自分を出せるように準備することを心がけています」

悔しさをバネに選んだ、英語と競技の両立
BMXとの出会いは、小学2年生の冬。お父さんからプレゼントされた一台のBMXがきっかけでした。最初は自転車に乗ることに少し苦手意識があったそうですが、10歳の時に同年代のキッズライダーたちが自由に自転車を操る姿を見て、「自分もあんな風にかっこよく乗れるようになりたい」と本格的に練習を始めました。
中学生になると、放課後はほぼ毎日練習に明け暮れるようになります。
高校生になると、さらに大きな転機が訪れます。
2022年、女子最高峰の「エリートクラス」で日本一になり、翌年にはフランスでのワールドカップ3位、フィリピンでのアジア選手権優勝と、活動の場は一気に世界へと広がりました。
しかし、海外の大会に出場した際、朔来さんはある「悔しさ」を感じたと言います。
「海外のライダーや現地の人と話す時、自分の気持ちを直接伝えられないのが本当にもどかしくて。翻訳機を使えば意味は通じますが、自分の言葉で直接思いを共有したいと強く感じました」
この経験から、高校では実践的な英語力を伸ばすようにカリキュラムの組まれていた「外国語コース」を選択しました。
平日は学校で英語のディベートやプレゼンテーションに取り組み、放課後は夜まで練習。週末は遠征という、多忙な3年間を過ごしました。「世界で活動していくなら、技術だけでなく言葉で伝える力も必要」という信念が、彼女を突き動かしたのです。
選手としての経験を、次の世代へのサポートへ
現在、法政大学スポーツ健康学部に通う朔来さんは、競技者としての活動を続ける中で、新たな目標を見出しています。それは「アスレチックトレーナー」という道です。
「これまで高いレベルで競技を続けてくる中で、多くのトレーナーの方々に体をケアしてもらい、支えていただきました。今の自分があるのは、そうした方々のサポートがあったからです。今度は私が、スポーツに関わる人たちを支える立場になりたいと考えるようになりました」
大学での学びを通じ、現在は選手としての視点だけでなく、誰かの挑戦を客観的に支える視点も大切にするようになりました。
「BMXをずっと続けてきたからこそ分かる感覚があります。この競技に育ててもらった恩返しとして、将来はトレーナーとして、世界を目指す選手たちをサポートできる存在になりたい。それが、今の私の新しい目標です」

葛飾の街に支えられて
朔来さんにとって、地元・葛飾は「帰ってくるとほっとする、温かい場所」だと言います。
「練習していると、地域の方が『頑張ってね』と声をかけてくれたり、差し入れをくださったり。皆さんが温かく見守ってくれているのを感じます。以前、練習中に大切なフレームが折れてしまったことがあったんです。困り果てて、近くの溶接屋さんに相談しに行ったら、『地元の子なんだから直してあげるよ』と、快く修理してくださいました。初対面だった私を助けてくれた溶接屋さんの優しさには、本当に救われました。こうした街の皆さんの支えが、私の力になっています」
川口朔来さんの挑戦は、これからも続いていきます。
葛飾の温かな応援を背に、彼女が歩む道は、これからも多くの人に勇気を与え、この街に新しい活力を届けてくれることでしょう。

